たなばたの夜の最終命題。
そしてこんな日なのにマイミクAshさんの日記をパクります(;´Д`)
とても感慨深かったんですが、真面目にレスすると長くなりそうだったんでι
葛藤その?
『がんばらない』と決めて久しく経つけどことあるごとに『がんばらない』ということを意識するのは、自分は実はがんばりたいんじゃないだろうか。
これは往々にしてありますよね…
「頑張らない」っていうことを考えることは、
すでに「頑張っている」と思っているからであるからだと思いますが、
日常、人は無意識に行動しているわけで、そんな中で
意識して「頑張っていない」人はいないんだと思うのです。
すなわち、頑張らないことを意識して頑張らない以上、
人は頑張らないことはできないのではないか、
イコール、「頑張らない」ことはできないのではないのかなということかなと。
葛藤その?
嫌いになる要素がある人を結局嫌いになれないのは自分は実はその人が好きなんじゃないだろうか。と思って冷静に考えてみると、やっぱり(少なくとも恋愛的な意味では)好きなわけではない。しかし周りの人からは俺はその人のことが好きなんだと思われている雰囲気を感じる。
またまた難しいですが、考えてみると、
嫌いになるということは、その時点でその人のことを意識しているわけですが、
他人から見るとそれが明白な「嫌い」に見えるのかどうか、ということかと思うのですよね。
人が人を嫌いになるには、自分にはないものへの嫉妬とか、
大衆社会との差、出る杭みたいなものへの不満などいろいろあると思われます。
ただ、共通することは、一義的に「関心を持っている」ことであり、
それがプラスなのかマイナスなのかの内面までは、
明確な意思表示が内限り周りには見て取れないわけで。
→例えば、若いですねという言葉が褒めになるか揶揄になるかは、
話し手の意図でなく、一方的に受け手の取り方によって決まることに似てると思います。
さらに、嫌いの種類が嫉妬であった場合、嫌いという思いの裏腹で
羨みの思いがあり、それが本当に「嫌う」ことへのブロックになっているのかなと。
えらそうなことを言ってしまい大変失礼しましたが、2つの問に対する共通のことは、
人は生活する上で様々な感情があるにせよ、
無意識のうちに何かを見いだそうと努力している、ということかなと。
久しぶりに頭を使って考えてみて、とても感慨深くなりました(´Д`)
結局、こういうことを考えて、正誤はともかく結論がだせるということは、
自分が問に対する石を持っている反面、そういうジェラシーを持っているということかなと。
それに気づくことができてよかったなぁと思います!
だからこそ、最大の命題。
人はなぜ、頑張るのか。
生きるということは何なのか、幸福とは何かを考える筋道になりそう。
幸せって、なんでしょうね。
落ち着き
6月も終わりが近づいてきました。
さすがに京都に2回行った5月と比べると
落ち着いた1ヶ月間を過ごしております(´・ω・)
どんなもんだろうかと思い起こしてみれば、
最初の週に金沢・白川郷・安曇野ジェイソンさん、
第2週はアキバ&秩父、
第3週は県内だったので4週の週内にマミられ、
週末にアキバ&秩父。
…なんだかんだで相当な距離を移動しているようです(´・ω・)
そんなわてですが、最近あまり体調が芳しくないようで、
違う薬が増えてしまったわけで( ´-`)=3
安定剤絡みのものもあるので、眠気が襲ってきそうです…仕事に支障が出ないといいのですが。
夏に向けて、体調を整えていかないといけないですね…
そして夏休みをどうするか考えないとですね。
8月中旬までは忙しそうなので、それ以降になるかと思いますが、
実は仕事で北に行く話もちらついているので、
結構気が気じゃない状態です(´・ω・)
今年の夏、無事乗り切れるのだろうか…