生きることって何だろう

さて、ゴールデンウィークです。
ゆっくり羽を休めて、また来週から
バリバリ仕事しなくてはね。
…明日から予定詰めっぱなしですがι




さて、今日はここから相当重い話をします。
最初に謝っておきます。
が、この話だけはどうしても自分が
やらなくちゃいけないなって思って。
気分を害されるかもしれないですが、話します。
特にこっち(はてな)を見てるのは身内の人ばっかりだと
思うんで、本当申し訳ないです、でも話します。
自分の使命だと思ってるんで。



最近、「死」って言葉を簡単に使ってませんか?
ちょっと考えてみてください。
ニュースを見ていてもよく耳にします。
「殺すつもりだった」とか、
「死ぬつもりだった」とか。
「死ねばいいのに」とか。


でも、どうして自分は死んだことがないのに
「死」って言う言葉を簡単に使えるんでしょうか。
それが本当に分かりません…
「死ぬほど努力した」って言葉も、
勿論、それを批判するつもりも、
努力を否定することは毛頭ないんですけど、
そういう「死」という表現での言葉ができてしまって、
それが日常使われてしまうことが悲しいです。


「死」って何なのでしょう。


もちろん腹が立ったり、本当に許せないこともあります。
だって人間ですもん。
でも、その結果、人を殺めたり
死ぬことが本当にいいんでしょうか。


自分の勝手気ままな意見ですけど、
「死んでいい」人なんて本質を見れば
世の中に1人もいないんじゃないかなって思うんですよね。


今月下旬で、自分の友人が死んでから1年が経ちます。
本当に月日が経つのは早いです。
今の自分があるのは本当に彼のおかげです。
彼がいなかったら今の自分なんてありません。


そんな友人は自分から「死」を選びました。
友人に何もできなかった自分は心底無力だなと。
そして泣きました。
でも、泣いても友人は戻ってこないんです。


そして今でも思いますし、後悔します。
なぜ彼は「死」を選んだんだろうと。
彼を「死」に追いやったのは自分なんじゃないかと。
自分がもっと頑張っていれば、と。
でも、どんなに考えたって友人は戻ってこないんです。


これから先、何があっても
自分は絶対に「死」を選ぶことはないでしょう。
勿論、そんなことは選ぶ以前の問題。
これから先、苦しいかもしれない、つらいかもしれない。
でも、今の自分を創ってくれた彼がいたのだから、
彼が今の、今日までの自分を支えてきてくれたんだから
自分は「生」きなくちゃいけないんだと。
自分が生きることは、彼が生きていた証なんだと。


自分にとって、それが友人にできる一番の、
そして自分にできる唯一の償いだと思っています。


もうすぐ1年。
親御さんと連絡をとる手段が分からず、
まだ彼の墓の位置も知らないでいます。
携帯のメモリには、まだ彼の電話番号が入っています。
かけてつながったら…話ができたらと何度思ったことか。
「かからないんだから消せばいいのに」
といわれたこともあります。
でも自分は一生、彼のメモリも、メールアドレスも、
消すつもりはありません。


…取り留めのない話になってしまいましたが、
もう一度、世の中の人全員に考えてもらいたいです。


「死」とは何なのか。


それこそが、人が人として
「生」きていくことではないでしょうか。