電車の中ずりを見て

「お宅の担任採点結果を募集中」
「どんな児童・生徒を評価するか」
「担任教師の能力判定…学力が落ちたのはなぜ?」
「私の教員査定シートをお見せします」
「父親の出番!学校生活の問題撃退マニュアル」


さんさんと輝いている教師の能力問題です。
これをみてどう感じますか?


人それぞれ考え方は違うと思いますがわては「心が貧しいな」と感じますね…
ものの本質は学校を見ればはたして出て来るのかな、と。


そもそも本質として学力がどうしてそこまで大事なのかな、と。
もちろん学ぶ力をつけることは生きて行く上でとても大事なことだと思います。
が、それが担任教師の能力判定とどう繋がるのか。そもそも学力をつけるための教師の能力って何?
子どもの学ぶ力があがるように手助けをし、最終的には子どもたちが自分たちのやりたいことを見出だせる様支援するのが教師の仕事だと思っていますが、
強引にでも学力をあげられない教師を、ひたすらに酷評することに果たしてどれだけの意義があるのか。
あげく評価基準を公開してそれは何になり、評価があがるとして、それは何になるのか。
規範通りの子ども?それって理想?


そして一方の学校生活上の問題です。
一概にいえないですがこれって先の学力偏重主義も一つの原因じゃないの?と。
学校生活の問題を撃退するのに父親の出番って何ですか?怒鳴り込み?教師への説教?
教える相手が違わないですかね。


わては現代の教育問題の根底にあるのは家庭の教育力の低下だと確信しています。
近年の問題、環境の変化が一番大きなファクターだと思いますが、その環境が最も変わったのは学校でも文科省でもなく親です。
わてらが育った頃の親と今の親は違い、教育は時代で変わるものゆえ今のニーズに答えようとしています。
今の親が学校に求めているのは何?
他人を思いやる心ですか?
人を殺さないことですか?
やはり学力をつけることですか?


そして、それらはずっと学校で教えて来たことでしょうか。


学力が低下するのは学校のせい。
いじめがあるのは学校のせい。
子どもの評価が低いのは学校のせい。
全部学校のせい。


本当に?
他に問題は無いの?


「家庭は?」


視点をずらして、総合的にものを捉えらない限り、現代の教育にかかわる諸問題は解決しないでしょう。
この5、6年でできなかったそれができるようになるのは何十年後でしょうか。
もっと考えなくちゃ、みんな。


例のごとく正解の無いだろう持論でした。