たまには

怒りをぶつけてみましょう。
人間、怒ることも必要です。
たぶん。


今日、教育基本法改正案が衆議院を通過しました。
103時間以上も議論したんだから十分だ、とか、
沖縄県知事選があるから、とか、
強行採決のシーンは教育関連でごたごたするから…とか、
文言が変わってるんだとか愛国心だとか。
野党は「怒りのボイコット」だそうですね。
与党は気にせず強行採決


もう、何でしょうね。
何のための教育基本法改正なんでしょうか。
「子どものための教育」じゃないんでしょうか。


子どもの愛国心をどうやって評価するだとか、
評価基準の問題?


今日、いろいろなことを考えながら、
ふと思い立って国会議事堂に行ってきました。
議事堂の前では日教組部落解放同盟
その他のみなさんによるデモが行われていました。
警察車両が並ぶ中、拡声器を通し響く訴え。
その反対側、ちょうど衆議院本会議場から
出てきた議員は笑っていました。


これでいいのでしょうか。


自分にとっては、たった103時間でこれまで
50年近く施行されてきた法律が変わるのは
おかしいんじゃないかなと思ってなりません。


103時間の議論で、何が分かったんでしょうか。
103時間の議論で、何が変わるんでしょうか。
103時間の議論で、子どもたちにどれだけの影響が出るんでしょうか。
基本法が変わって、これからの教育への
 認識、考え方、具体的にこうなりますよ」と
法律案を国民にまったく知らせず。
「こんなんでいじめの解決にならない」と一部でいってますが、
いじめって法律で解決できるのですか?


いじめだってそうです。
教育委員会が悪い?
学校が無力?
散々親は言います。
もちろん、自殺されたお子さんがいる親御さんの気持ちは
計り知れないものがありますので、
あまり言うのはいやですけど、でもどうして
親がシグナルにきづいてあげられなかったのか。
「先生なんだから認識してたんじゃないの?」と怒るんじゃなくて。
「学校に預けてるんだから」?
それ以前に親は子どもの何なのでしょうか。
そして責任の所在を明らかにしたところで何になるの?
親や教師、教委、文科省がどんなにもめたって、
責任どこだって大きな声上げてわめいたって。
苦しんでるのは子どもなんだって。
死んでしまった子どもは帰ってこないんだって。
だからあえて言います、「馬鹿じゃないの?」と。
もっと大事な、心の問題を社会全体、
一人ひとりが捉えないといけないんじゃないんでしょうか。
これで解決できるかわかりません。
解決って言葉があっているかも分かりません。
でも、必要なのは「考えること」じゃないんでしょうか。


それはいじめだけじゃない。
もちろん教育基本法もそう。
何でもそうです。


「議論し尽くしたから」
徒歩で30分もあれば1周できてしまう区画の中で
これからの子どもたちの一生を左右する教育の法律が
こんな風に流されていく。


国がダメなのかな?
国民がダメなのかな?


みんなで考えましょう、教育のこと。


大人が散々議論して何になる?
「議論し尽くした」と自負して、あんた何様だ?と。
どれだけ子どものことを考えたのか。
これから先、下手すれば一生を左右する。


一番影響を受け、そして一番被害を受けるのは
いつだって子どもなんですから。


大人に子どもになれったって、そりゃ無理です。
子どものことを考えろって言ったって、
子どもじゃないんだから限度があります。


でも議事堂から笑って出てきた議員さんは
果たして、何を考えていたのか。
やっぱり、わては納得いかなかったです。



何を書いているのかもう分からなくなってきましたが
とりあえず、支離滅裂でもいいので書いてみました。
感情のままに書いたのであえて読み返しませんw
読み返して直すと、自分の本当の気持ちじゃなくなる気がするので。


「そうだ!」って思っていただけるものがあったり、また
「ちがうよ!」って思っていただけるものがあったら
遠慮なくおっしゃってくださいまし。
それで自分の考え方も変わって、より教育について
考えられると思うとうれしいですので。


みんなで考えてみようよ!教育のこと。
乱文大変失礼しました。


最後に、
デザインとか、レイアウトとか、視点とか
「広報紙のテクニック」もあったら教えてねw


よし、明日から仕事がんばろうι