最近

「わがままな大人」が非常に多いです。
わてもそうなので偉い口は叩けないですが。
ただ、単にわがままなのは問題ないんですが、
「それをしたらどうなるか」を考えることが
できる人が指折り程度しかいないと感じます。

その一端がいじめの問題。
いじめの問題は学校が悪い!と、
責任は学校であり、教師どもが無能なんだという親に問いたいのは、
あなたは親として自分の子どもをどれだけ見ていましたか、ということ。
みなきゃいけないのはいじめのひどさや原因以上に
自分の子どもからのメッセージじゃないんかなと。
最近の(一部の)親はそこが出来ていない。
電車で子どもが騒いでもしらんぷり。
我先に列に平気で割り込む。
何かやらかしても決して謝らない。
そんな親を、一番みているのは紛れもない子どもです。

言うことを聞く子がよい子?
わがままを言わない子がよい子?
勉強が他の子より出来る子が優秀な子?
それは子どもがよい子なのではなく
大人である親が勝手に思う「よい子」像に子どもをはめているだけです。
そんな親が「うちの子は思いやりがある」と言って
一体どれだけのものがあるんでしょうか。

ちょっと前のテレビで西川史子が勉強が出来ない子を「腐ったミカン」とたとえ、
「腐ったミカンをそのままにしておくと回りがそれで腐る(からつまみ出せ)」
という発言をしていました。
勿論大ブーイングが飛んでいました。
この発言をした彼女は最低の人間だと感じ、以来わては大嫌いですが、
問題なのはそれ以上にそんな発言が出来るようになった環境、そして
その環境を作り出した大人たちなのではないか。
発言然り、そういうことこそが大人の欺瞞であり、子どもより上なんだからと言う
権力を縦にしたわがまま以上の暴力じゃないのかなと思います。
今一番変わらなければいけないのは
子どもでもルールでも学校でも法律でもない
一人の人間としての大人じゃないでしょうか。

そのために、まずは些細なことかもですが、
回りをほんの少しでもいいから考えることが出来る大人にみんながならなければ
世の中は景気がよくなろうとみんなが金持ちになろうと、
いつまでたっても今のように暗いままでしょう。


心の豊かさについて、考えてみませんか?




と、感じたりした今日この頃です。
広報のやり過ぎなのかなぁ…ι

そして王子、卒業おめ〜☆ミ